おふくろさん

先日、故郷の九州へ2泊3日で帰京しました。

嫁さんと二人で出かけるのも久しぶりでした。

 

3年前に父が他界し、田舎の一軒家に一人で住む母。趣味の茶道やガーデニングを楽しみながら、静かに暮らしています。

母は今年76歳。まだ車を運転し、スーパーに買い物も行きます。元気です。

それでも会うたびに小さくなって行きます。

僕は悩んでいます。

いつか介護が必要になるときが来るでしょう。そして別れのときがやってきます。

頭では解っているんですが、なんというか感情がそれを追いやってしまっています。母親がそうなるのを考えたくない。認めたくない。

父は心臓発作で突然亡くなりました。なので僕は親の闘病や介護を経験していません。なので想像が難しいのです。

いや、やはり「お母さん」が弱っていくことを考えたくないだけでしょう。

いつまでも元気でいてほしい。いつまでも生きていてほしい。

 

そんなに気になるなら故郷に帰って母と暮らすべきなんでしょうか。しかしあんな田舎で仕事は?嫁さんと母は今は仲良くやってますが一緒に暮らすとなったらそれはまた別でしょうし、そもそも東京生まれ東京育ちの嫁さんがあんな九州の山の中についてきてくれるのか?

そして母が旅立ったあと、僕は田舎でどうするんだろう?

 

僕はあまり出来のよくない子供でした。もちろん今でもそうです。情けないことに、父が生きているうちは親がいなくなるなんて考えたことありませんでした。父が死に、初めて親がいなくなるということを実感したのです。

ホント馬鹿息子ですね。

母が一人になってから、僕も親孝行したいと思うようになりました。しかし僕は東京、母は九州。なかなかしょっちゅう行ける距離ではありませんし、費用も掛かります。

それを気遣ってか母は帰る度に数万円のお小遣いをくれます。僕は情けないことに40を過ぎてそれを受け取ります。

母には父が残した新しい家と、わずかな預金、遺族年金、そしてわりと広い田舎の土地(山?)があります。売ればいくばくかになるでしょう。

さらに事務員として働いていたので厚生年金も受け取っているはずです。贅沢しなければ日々の暮らしには困らないと思います。

心配なのはいつまで一人で暮らせるか、です。

去年の年末、ベランダから家に入ろうとして転んだそうです。履いてたサンダルが脱げなくて、慌てて転倒。腰を打ち、今年のお正月はろくに歩けなかったと言ってました。

そんな話を聞いたときは大げさじゃなく血の気が引きます。マジで怖い!

幸い今はだいぶ回復したようで、庭仕事なんかもテキパキやってましたが…。

僕には兄がいるので、最終的には兄弟で力をあわせ親を看取ることになるでしょう。しかし現在、兄とは親の今後の話は出ません。決して兄も考えていない訳ではないでしょう。要するに僕と同じ心境ということなんだと思います。

親の死。考えなければならないが、考えたくない。

しかし母が今日転んで寝たきりになれば、介護は明日から始まります。

「車ば運転できるうちは家にいる。車に乗れんようになったらホームに入るかね。予約せないかんねー」

心構え、しておかなければなりませんよね。

 

しかし本当に考えなければならないのはいつかくる悲しい日のことでは無く、今過ごしている楽しい日々をしっかり感じることだと思っています。

嫁さんと母と僕の3人で散歩したり、観光地価格のソフトクリームを食べたり、スーパーで夕食の買い物をしたり、池の掃除をしたり、庭の手入れをしたり…。

今回の帰郷はとても楽しかった!!

「ご飯おかわりするね?あ、漬け物だそうか。お味噌汁は?そーだリンゴあるけんむいてやろうか」

母にとっては僕はいつまでも小さな子供のようです。そして僕も今、子供のように母を慕っています。

もしかしたら親は弱り小さくなっていくことで、子供になにかを伝えるのかな?

もしそうだとしたら、間違いなくそれは「愛」ですよね。

お母さん、いつまでも元気でね。

 

あ、このブログを書いてる途中に母から電話がありました。

この帰郷の際、僕が水道にくっつけてあげた庭の水まきホース。しまうのにピッタリなカゴをホムセンで見つけたそうです。

用はそれだけ。

僕はその楽しい電話の最後に、こないだ帰り際にスマホで撮った母の写真をプリントして送る約束をしました。

母ちゃん、美人に加工しといたけんねー!

 

 

 

 

 

 

 

 

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