地下鉄サリン事件が起きたのは、1995年3月。
そのとき僕は、大学受験に失敗し、故郷の熊本で浪人生活を送る事が決まっていました。
3月20日は予備校に通うのに必要な原付免許を取りに行っており、免許センターの食堂でお昼のラーメンだかチャーハンだかを食べているとき、備え付けのテレビで大混乱の東京を見たのを覚えています。
オウム真理教の実行グループが現在の東京メトロ(当時は営団地下鉄といいましたが)に猛毒のサリンを撒いたのが朝の8:00ごろ。
僕が見たお昼のテレビ中継は、地下鉄の地上出口付近に何台も並ぶ消防車と、たくさんの人々の姿でした。発生から数時間、まだまだ現場は修羅場そのものだったのです。
猛毒サリンは山梨県の旧上九一色村の「サティアン」という教団施設で製造されました。当時報道でもさんざん登場しましたね。
そのオウム真理教の教団施設は、熊本県にも存在していました。
僕の故郷の熊本では、オウム真理教は教団施設の建設をめぐって県とトラブルを起こしていました。それが地下鉄サリン事件からさかのぼる事5年前の1990年。
僕が中学生の時でした。
騒動の舞台となった波野村は僕の田舎の近く。地元のローカルニュースとして、オウム真理教はしばしば騒がれていました。
それでも教団施設の建設や用地買収に関するトラブルでしたから、オウム真理教に対するイメージはそれほど深刻なものでは無かったと記憶しています。
当時の僕のオウムに対するイメージは、「なにやら変な連中」。それはおそらく僕だけじゃなく、大人達もみんなそれくらいの認識だったと思います。
僕の通っていた中学の教師が、髪が長めの生徒を注意するときに教祖麻原のルックスを軽くネタにしていたくらい。
それも「あさはら」でなく「まはら」と読み間違えていたのを覚えています。「お前、そんな髪じゃマハラさんって言われるぞ」なんて。
今思えばのんきなもんです。そんな彼らは、その時もうすでに坂本堤弁護士とその家族を手にかけていたのですから。
波野村の教団施設の跡地は僕ら地元の若者たちには格好のスポットであり、一連の騒動後も「サリンがまだ隠されてる」とか「現金が3億ほど埋められてる」とかしょうもないうわさ話につられて見物に行ったりしてました。
その後2005年に波野村は阿蘇市と合併。いまでは存在しません。教団施設の跡地も現在ではただの山林です。
オウム真理教の代表として数々の凶悪犯罪を指揮。麻原彰晃こと松本智津夫は熊本県の出身です。一体彼は何を考え、あの凶行に及んだのか。
あの広大で美しい阿蘇のふもとに彼は何を築きたかったのか。
もはや知る術はありませんが、2度と宗教の名の下に人々が傷つくことが無い様、祈るばかりです。